短くて儚いのが切なくて綺麗だという思いこみが全てを神聖にしようとする2009/07/17

こんばんは。sleepy.abを聴きながら夜の続きです。
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7/24のライブはいつもより長く演奏する。1時間くらいだから、およそいつもの2倍の尺である。こういう日にしか演奏する機会のない曲もやろうかと考えているのでお楽しみに。僕は何を歌いたいだろうか、皆さんは何を聴きたいだろうか。
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そういうのは実際のやりとりとして探り合うのではなく、対象の存在や、(あたりまえだけれど)そこに想いが在るということを知っている「事実」だけが大事なんじゃないかな。目に見えず、耳に聞こえないような中にさえ存在する確かさが、心の交流であることを僕は信じる。
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感じることより、考えることにかまけながら感じている振りをして物事に触れる人。そういう態度は在って当然だけれど、そういう人のそういう態度で触れた出来事の物語は得てして軽率で退屈だ。しかし、自分の立っている場所を知っている人による、思考の末に洗練された確信的なフォルムは知的でクール。僕はそれに憧れたりもする。そういう粋な「大人の仕事」に触れるとわくわくするものだ。

出来事はいつだってフラットだ。優劣もなければ罪もない。言葉は出来事に対する我々の触手であり、美しく構築された罠であり、欠陥だらけの宝であり、祈りのようでもある。
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もやもやしているから、わざわざこんなことを人に見られることを前提に書いたのでしょう。何がしたいのか。

小林祐介