成功のモデル2011/07/02
撮影&取材デイズ。いろんな人と話をする機会があるので、普段考えていることや、普段考えないようなことを話したりしています。
__________________________
さて、「成功」について僕は考えます。世の中には、まるで「普遍的な成功」が存在するかのような態度がありますが、僕にはよくわかりません。僕には「僕の成功」があり、あなたには「あなたの成功」があると僕は考えるからです。
そして、そこに辿り着くには「僕の道筋」と「あなたの道筋」があり、「僕のやり方」と「あなたのやり方」があります。
どのようなバンドになりたいか、目標、などを聞かれた際に、一言では言えない理由はこれです。
__________________________
何を美しいと感じるか、何を美味しいと感じるか、何を気持ちよいと感じ、何を楽しく感じるのか。「自分が」。
それは自分の居る場所が変わることで変わってしまうことなのでしょうか。(どうだろう)自分の中でさえ、前述したような感覚は「普遍的」ではないように思えます。
毎日同じような朝日が昇っていても、毎朝同じようには感動しないかもしれない。昨晩食べて美味しかったステーキも、今朝では重い。寒い日に、あんなにストーブの前でうっとりしていたのに、この暑さでは見向きもしない。試聴したときの方がわくわくしたアルバム…など、いつでも、どこでも、誰とでも、常に同じように感じる物事なんてないのかもしれません。
いかにも「普遍的」であるかのような素振りを見せる価値観を、いつのまにか刷り込まれていたとします(あなたはそれを「選んで」はいない)。それは常識とも言うし、道徳とも言うし、優しさとも言うし、愛とも言うし、善とも、悪とも、世界とも言います。
•誰もが、同じ世界に生き、同じ常識の中で同じ道徳心のもと、同じ優しさで同じ愛を育みながら、それらは踏み絵のように我々を普遍的な「善」と「悪」に区分します。
という「思いこみ」が、恨み辛み、妬み嫉み、争いを生むように思えます。
__________________________
僕たちはどこまでいっても「独り」であり、「一人」では決して生きてはいけないと、僕は考えます。そしてそれは悲しいことでも、寂しいことでも、美しいことでもなく、ただ単純にとてもシリアス(真剣)なことなのだと考えます。
僕たちにそれぞれの名前があるように、僕たちは個別な存在であり、個別の価値観を持ち寄って、様々な「個」との交流のもとに生活しています。規模の差こそあれ、そこが「社会」です。人類は「社会」に帰属することで、初めて人間という言葉で扱われるのかもしれません。
•僕たちは「独り」じゃない。
•「一人」でも生きていける。
そんな倒錯した価値観が、あちこちに溢れているように思います。ここで大事なのが「独り」とは何か「一人」とは何か、という点です。
__________________________
諸行無常という言葉があります。流動する世界に生きる。だからこそ、そこでより豊かに生きることを、僕は求めているし、それは僕が僕のやり方で僕の成功を手にしたい、という気持ちと同じです。
世界が流動しないと思いこみ、豊かさを求めることが「後ろめたい」と思われるような価値観とは関わりたくありません。あるいは、「後ろめたい」豊かさしか想像出来ない世界とは関わりたくありません。
しかし、僕はそれを憎まないし、恨まないし、わざわざ嫌ったりしません。自分とは異なる価値観を持っているということを認め、徹底的に軽蔑するだけです。
__________________________
__________________________
直接的、間接的かを問わず「愛」「優しさ」「正義」「平和」をもってして、いつのまにか誰かを傷つけてしまう世界。それが目に入った時、あなたならどうするか。その態度を僕は見たい。様々な偏見を僕は見たいし、それはきっとあぶり出されるだろうとも考えている。より真剣に取り組む人、いつもと変わらない人、うまく騙せなくなったことで、慌てふためく人もいるかもしれない。
__________________________
子供の時に楽しかったのは、真剣に遊んでいたからだな、と思いました。
小林祐介

