ぼくのバラ色の人生2012/08/21

久しぶりにゆったりと昼間を過ごしています。耳をすませばを観たり、藤子•F•不二雄の異色短編集を読ンダリ。
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夏になるといつも子供の頃のことを思い出します。

僕は子供の頃から「男である」とか「女である」とか「男らしい」とか「女らしい」とか「男のくせに」とか「女のくせに」ということを意識しながら生きてきました。

母親や、祖母が鏡の前でお化粧をしている様子を見るのがとても好きで、幼稚園生くらいの頃に黙って口紅を塗ったりしていました。そして「男の子はお化粧はしないのよ」と叱られたような記憶があります。どうだったかな、母親や祖母は笑っていたのかもしれないけれど「やばい」と感じたことで記憶が歪んだのかもしれません。
ただ、子供ながらに初めてタブーのようなものを破った興奮と、恐怖を感じていたような気がします。

小学生になり、女の子向け(と言われている)のアニメをみたりすることでからかわれたり、好きな色が赤やピンクだとからかわれたり、髪を伸ばそうとするとからかわれたりするような社会で生きる羽目になりました。(程度の差こそあれ、いまでもそういう場所で生きていますが。)
もちろん当時の僕からすれば、恐怖でしたので「セーラームーン気持ち悪い」とか「青とか黒が好き」とか「伸ばすのは前髪だけにしよう」などと考えるようになりました。
「みんななんて嫌なやつらなんだ」と周りにいる人達を疑うような習慣がつきました。しかし、そんな中でとても自由そうに、楽しそうに生きている2つ上の兄のことは尊敬していました。遊びに行く時もよく一緒に連れて行ってくれました。僕は同級生の子と遊ぶような習慣があまりなかったので、心配してくれていたのかもしれません。

クラス内の一部のやんちゃなやつらにだけいじめられる、という侘しい数年が過ぎ、小学4年になったころIくんというカリスマに出会います。
Iくんはいつも人に囲まれている人気者で、足が早く、サッカーが上手で、ユーモアがあり、みんなから「師匠」と呼ばれていました。
僕がいつも通りからかわれながら下校していると、そのIくんが「一緒に帰ろう」と声をかけてくれました。誰も彼には逆らえないので、いじめっ子達も退散して行きました。涙が出る程心がふるえたのをよく覚えています。「助かった」というよりは「何この人超かっこいい」という感動が大きかったです。
彼の誘いもあり、その後サッカー部に入ったり友達が増えたりと、どんどん学校生活が楽しくなっていったはずなのですが、何故かそのあたりの記憶は本当に曖昧でよく覚えていません。。

見方によっては、僕は性について想いを巡らすのが早かった子供のような気がします。(実際に他の人がどうなのかは知らないけれど)
いまでもそうですが、女性について、男性について、の見解で話が合う人はあまりいません。

こういう話をしている時に、友人から「ぼくのバラ色の人生」という映画を教えてもらいました。
詳しくは書きませんが、とても好きな映画です。
性同一性障害の主人公、リュドヴィック役の男の子がとてもかわいいのです(同い年)。

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僕の場合、美しいものに出会った記憶や、楽しかった記憶は、思考を伴わないものが多いような気がします。ただひたすら興奮していたり、没頭していたり、、、。そして何より、すぐ忘れてしまったりします。

反対に、嫌な記憶や、悲しかった思い出は、自分の心のバランスをとるための思考、その場をどう切り抜けるかについての思考、、などに満ち満ちており、その時の感覚がいまだに生々しく思い出せます。なかなか忘れられません。
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過去を振り返ったとき、いまだったらこうするのに、と思うことばかりですが、僕はそのひとつひとつに対して後悔はせず、反省するだけにしています。後悔は過去を直視し続けること、反省は過去を視界の隅に入れておくことだと思います。
生きることを歩行に例えると、前者は危ないですよね。水たまりにも落とし穴にも気付けません。テリブルテリブル。
ただ、反省ってすぐ忘れるんですよね。免罪符的に「大丈夫大丈夫、おれっち今バッチリ反省したから。」と体良く自分を許し、可愛がれるような思い込みは、実に容易いのです。

小林祐介