目の前のフィクション2011/07/26
彼らは、いったい何を喜んで何に悲しんでいるのだろう。さっぱりわからない。
______________________________
と思うような人にさえ「これ僕の作った音楽、聴いてみてよ。」と言いたくて仕方が無い。
タダでちょうだい、と言われたら「嫌だ。自分の音楽でボランティアはしない。」と言うだろう。
______________________________
他人が、自分に支払う対価(お金とは限りません)に対して堂々としていられるかどうかで、その人の本質が見れると、僕は思う。そして、その人が与えたもの(僕なら音楽です)に対する自信や尊厳もまた同様に、透けて見えると思う。
______________________________
取材中に興味深い言葉を聞いた。
「この国に批評に支払われる対価は無い。」
何故この音楽を勧めるか、ということの理由を裏付ける「反例」を持たない、ということだ。あるいは沈黙をもってそれを表すということだろうか。そこに説得力はあるのだろうか。なにせ窒息しそうな程の情報があるからなあ。
______________________________
とある音楽番組のランキングが「レコードがどれだけ出荷されたかの順位」だと考えると、「ある特定の項目の数値を競うコンテスト」と何ら変わりはないわけです。それだけのこと、というのは承知の上で、僕たちがその土俵で1位になったら実に愉快だろうな、と考えます。そしてこれは目的や目標ではないし、ましてや夢なんかでは全くありません。ただのゲームです。ただし真剣です。わざわざ土俵にあがる態度をとるなら、僕は真剣に遊びたいのです。
______________________________
と、いうことを何故かYoussou N’Dourを聴きながら思いました。
小林祐介

