なるべく読み返さない2019/04/25

4月21日
このブログを再開するにあたって、自分に課しているルールが二つある。
一つ目は「思いついたまま書く」こと。あらかじめ具体的な文章を思い浮かべようとすると、
欲が出て、きちんとした文章、気の利いた言い回し、そういったものをついつい目指してしまう。
そうすると結局一行も書けないまま、1年間くらい放置してしまう。で、全く更新していないブログの存在が気にかかり、もやもやし続けることになる。だから、とりあえず書くために「思いついたまま書く」ようにしている。

二つ目は「なるべく読み返さない」こと。読み返すと、編集したい欲が出てきて、よりきちんとした文章、より気の利いた言い回し、そういったものをついつい目指してしまう。
そうすると結局一行も納得出来ないまま、投稿自体を消してしまったりして、1年間くらい放置してしまう。で、全く更新していないブログの存在が気にかかり、もやもやし続けることになる。だから、とりあえず更新するために「なるべく読み返さない」ようにしている。

これらを試してみて気づいたことは、思考は言語で行われている、ということです。なんかバカみたいなこと言ってますけど、今更気づきました。

何か物を作る時、デザインするときなどは、言葉にならない漠然としたイメージ(色とか形とか、質感、温度感、なんでもいいんだけど)が頭を駆け回っているのを感じるけど、しっかりと物事を考える時(スケジュール管理、仕事やそのプランの整理、見た映画や読んだ本、聴いた音楽の考察など)は、間違いなく僕は言葉を使って考えてる。「●が×だから、▼であって…」みたいな感じだ。もちろん日本語。

で、いつのまにか考えたことを文章にする、というプロセスのスピードが上がっていって、文章を書くことで考えてる、ような状態になる。で、まさにいま思い出したのが、もともと僕そうやって文章書いてたんだ。

読み返したいけれど、ここで終わりにする。

4月22日
相変わらず、家族全員の体調がよくないので、各自の通院の為にスケジュールをやりくりした。

4月23日
阿部芙蓉美さん、バイオリンのめかるさんと、セッション曲の合わせをした。26日下北沢440の最後にカバーする曲。芙蓉美さんとはもう何年も前からいつか一緒にやろう、という話をしていたので念願がかなって嬉しい。彼女の歌が本当に好きだ。
僕は、性別を問わず、歌にどこか翳りがある、憂いがあるような人が好きだ。
希望や喜びを歌おうと、日常を歌おうと、絶望や空想、怒りや苦しみ、美しさ、祈り、そのどれでもないもの、何を歌おうと、滲み出てしまうその人の声が持つ翳りや憂いのようなものがある。つい出てしまうもの。
でも、結局他人に僕が惹きつけられたり、反応してしまう部分ってそこかもしれないな。つい、出てしまった本当の部分。隠せなかった部分。

 

4月24日
リハーサル。5月のラママに向けて、セットリストのアイデアを出す。
かなり久しぶりの曲をやる予定。実は、この曲(っていうかその曲が入ってるアルバム)には未練がある。当時のリリースツアーで、全く表現しきれなかったから。自分たちのライブのレベル、クオリティ、モード、そのどれもが作品に追いつけていなかった。
いや、思い起こせば、リリースツアーはいつもそうだったかもしれない。
もっと、ずっと後になってようやく作品のことが“わかる”時がくるんだよね。「あ、そうだったのか」みたいに。
でも、作品をわかったころには、僕の興味はすっかり次の何か、別の何かにいってしまっていた。
で、わかりかけてた感覚も少しずつ失くしていってしまう。
だから、久しぶりの曲をやるときは、いつもその“感じ”を思い出したり、再解釈をしなければならない。

これからは、新曲を作りつつ、過去にやりきれていなかった部分などもしっかり楽しんでいきたい。
変化というよりは、積み重ねかな。どうせ変わっていくしね。

4月25日
とある映画の試写会に渋谷へ。この映画について後々取材が行われて記事になる予定です。
試写が終わった後、51Recordsケンジさんと櫻坂で塩そばを食す。
夕方、息子が僕の携帯をおもちゃにしていたので取り返したんだけど、いつのまにかTwitterに投稿していて驚いた(もちろん、暗号みたいな謎の文章)。
なんか気が利いたこととか、素敵な詞とか書けるようになってくれないかな。
とか思いつつ、息子の投稿に何か宇宙や未来からの暗号があるかもしれないとSF的に思って、ぼんやりながめたりしている。

 

小林祐介