さくら味のソフトクリーム、二口しか食べなかった2019/04/22

4月16日
二児たちと家で過ごす。子供番組の音楽って、発見があるものがたまにあって、コーネリアスが音楽を担当してる「デザインあ」とかは面白い。
娘もそれでよく聴いていたからか、フジロックではコーネリアスにノリノリだった(ビョークの時は一瞬で寝た)。

 

4月17日
スタジオ。19日のGARAGEに向けて通しリハーサルをする。

 

4月18日
息子が体調を崩し病院をはしご。

夕方は、鯉のぼりを組み立てながら、トラックメイクをした。
鯉のぼりってなんなのかよくわからないまま大人になって、よくわからないまま組み立てていて、
「あれ、いま自分は何をやってるんだろう、これって」という気持ちでビートを作った。

思えば、身の回りはそんなものばかりだ。伝統とか、風習も、なんでそれが行われてるとか、そういうことをほとんど知らないまま、そして特に知ろうともしないまま大人になってしまった。
いまになって「へー、そんな意味があったのかー」なんて感心したりすることばかりだけど、僕は自分の無知をもっと恥じるべきだと思った。
いま現在、何かを“知らない”ってことは、仕方がないことだ。何のせいかはしらないけど、今日まで知らなかったんだから、それはもう仕様がない。

でも、自分と関係のあることにも関わらず
“自分はそれを知らない”
“自分には知らないことがある”
という自覚が芽生えた時に、それをそのままにしてしまっていた自分が恥ずかしかった(今回なら鯉のぼり)。

別に、何でもかんでも知りたいわけじゃないし、何でもかんでも知らなきゃいけない、なんてことはない。

ただ、“建前”としてでも子供の為に鯉のぼりを組み立てているのに、これが何なのか、意味も目的もわからないまま漫然と手を動かしている自分が、あまりに愚かに思えてきたんですね。思考停止とはまさにこれ。おまえは牧場の家畜以下か、と。

人によって、状況によって、生き方によって、知っていた方がいいこと、知らなきゃいけないことがある。それらを“知ろうとする”ことを放棄したとき、無知は恥ずかしいものになる。

鯉のぼりに限らず、僕は自分の無知が恥ずかしい。

 

 

4月19日
下北沢GARAGEにてワンマンギグ。先日のツアーファイナルと同じセットリストで臨んだ。
このライブハウスへ来ると、やっぱり昔のことを思い出す。
以前、Twitterとかに書いたこととかね。メイクをしてステージに上がろうとしたんだけど、直前で怖気付いてやめたって話。この日は、普通にメイクをした。特に何も思わないくらい、あたりまえに。

(Photo by Daisuke Miyashita)

宮下くんが隠し撮りしてたので載せておきますね(頭の右上にゆるい字体で“運命”とか書いてあって笑った)。梅田さんに続き、彼の撮ってくれたライブ写真も後に掲載します。

そういえば、この日スタッフチームや仲間内で話していて思ったのは

「やっぱりTHE NOVEMBERSは広いところで観たいな」という感想と
「やっぱりこのくらいのキャパで至近距離で観るTHE NOVEMBERSはいいな」という感想

両方あったな、ってこと。僕らも、両方感じてる。どっちも最高さ。両方表現できるのがいい。
いつのまにか、どちらかしか表現出来なくなってしまうこともあるんだ。良くも悪くも。

終演後、各々の都合などもあり、打ち上げはせずに帰宅。

「ANGELS」、いまだにひと段落ついたような気持ちにならない。

眠れなかったので映画「王立宇宙軍 オネアミスの翼」を観る。

 

 

4月20日
二児たちと家で過ごす。実はこの一週間くらい一家全員で体調を崩していて、khaos。

 

4月21日
快復した娘と二人で近くの公園へ。ソフトクリームを食べたいと言うので買ったけれど、期間限定のさくら味しかないとのこと。
二口くらいは喜んで食べたけれど、すぐにテンションが下がり「パパに全部あげる…」といってよこしてきた。いつも通りのバニラ味がよかったみたいだ。
公園に来ると、子供達ならではの秩序や遊びのルールみたいなものがあちこちで自然発生していたりして、面白い。知らない子供が勝手に遊びの仲間に入ってきたり、いつのまにか抜けていたり。
よくわかんないけど、ポイント制みたいなシステムで動いてる遊びがあったり(いまのは○点!とか、仕切ってるやつがいて、みんなそれに従ったりしてるんだけど、僕には全くルールがわからなかった)
しかしすごいよね、全然知り合いでも何でもなくて、相手がどんなやつかもわかんなくて、名前すら名乗らずに、とても楽しそうに遊んでる。ルールも曖昧なまま。

いつくらいからかな、大学生くらいになってから友達同士で言う“遊ぶ”という言葉にしっくりこなくなった。飲みに行ったり、お茶をしたりするのも“遊ぶ”ことに含まれるんだけど、別に遊んでないじゃん、って思ってしまうんだよな。
子供みたいにかくれんぼとかゲームしたりするのが“遊び”である、とか言いたいわけじゃなくて、
“遊ぶ”という名目で集まった僕たち、これといった“遊び”をしないまま解散、みたいな認識だったんだよね。お酒飲んだだけ、映画とか恋の話をしただけ。

その点、バンドでスタジオに入ったり、曲作ったりするのは、かなり遊んでる感があるんですね、僕の場合。童心っていうのは、返る場所や精神状態のことじゃなく、作法のようなものかもしれない。触れ方、と言ってもいい。とびきり優雅な野性。っていうか、野性っていうのは何よりもエレガントだよな。

小林祐介